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阿弥陀寺 ~織田信長本廟所~

本能寺の変で自害した織田信長公のお墓は
遺体が燃えて見つからなかったためにいくつもあります。
秀吉が菩提寺として建てた大徳寺総見院では木像を以て葬儀が行われ
本能寺では刀を埋葬して廟を作っていて、
Wikipediaでも10ヶ所以上の墓所、廟所、供養塔が紹介されています。

そんな中、唯一遺骨を埋葬したとされるのが阿弥陀寺です。

ちなみに往年の大女優森光子さんのお墓もここにあります。


amidaji1.jpg


通常非公開
毎年織田信長の命日とその前日(6月1日~2日)のみ公開されていますが、
NHK大河ドラマ黒田官兵衛のおかげで京都観光協会の第48回『京の冬の旅』文化財特別公開に
戦国武将をめぐる旅の一環として12年ぶりにエントリーされました



本堂。
普段はこうやってパタリと閉じられています。
amidaji3.jpg


拝観時は掘立小屋登場。
amidaji5.jpg
この日は冬にも関わらず抜けるような青空でした。




amidaji2.jpg


阿弥陀寺
浄土宗鎮西派
本尊:阿弥陀如来
山号:蓮台山
天文年間(1532~1554年)の建立で、開祖は清玉上人
松永久秀が燃やしてしまった東大寺大仏殿の再建の委員長を務めた凄い人ですが、
織田信長の異母兄弟、織田信廣の紹介で信長とは親交があったようです。
なお、この松永久秀のごめんなさい書状も展示されていました。

もともとは近江国坂本(滋賀県大津市)に建てたのが始まりとされ、
天文24年(1555年)織田信長の帰依を得て西の京芝薬師蓮臺野(今出川大宮)に移転。
そのときは13の塔頭を持つ大寺院だったそうですが、
秀吉の聚楽第建設の際の「京中屋敷替え」によって現在の地に移りました。
そのとき規模がとても小さくなったのは、秀吉の妬みも入っていたと言われています。
その詳細はのちほど。


amidaji4.jpg


拝観は6月まで待たないといけないなー、仕事の休みとかぶるかなーと思っていたところ
ありがたい特別公開と相成ったので、行ってまいりました




内部はもちろん写真撮影禁止ですが、
京の冬の旅公式HPで一部紹介されていたので拝借。

amidaji14.jpg

左中が御本尊阿弥陀如来像。
よく見ると顔の左頬が黒く焦げているんですが、
これは江戸時代、天明の大火(1788年)のときのいわゆるヤケドで
焼失した胴体は明治時代に再建され、首とは年代が違うそうです。


天井は花曼荼羅「彩華来迎花浄土之図」
もとは何もなく暗い本堂であったのが、
平成21年、日本画家の上田幸子さんが、御主人の7回忌の際に
「ここに絵があれば明るく華やかになるかしら」と言ったのがご縁で制作されたそうです。
極楽浄土の世界をあらわす、まさに百花繚乱。とても色鮮やかです。
図録は3000円で販売されていました。


御本尊の向かって右に清玉上人像。
左に織田信長像、信忠像、信廣像が安置されています。


織田信長木像
amidaji13.jpg

青木加賀(重直)が一周忌の際に作成。
家臣が作ったものなので、実物に極めて近いといわれています。
総見院の信長像も似たようなことが言われていましたが、
それに比べると少し頬がふっくらと丸く目元も柔らかい印象です。

ちなみにこの制作者について少し調べてみると、
永禄2年(1559年)織田信長上洛の際に斎藤義龍が信長に向け放った刺客の一人と
言われるそうで、歴史ってわからないもんです



さてさて、天正10年(1582年)の本能寺の変の際ですが、
明智光秀の謀反をきき、清玉上人はすぐ本能寺へ向かいました。
なんとか裏道より中に入りましたがすでに信長が自害した後でした。
そばの竹林で10人ほどの信長家臣が集まって火を焚いているので訊いてみると
信長公は切腹の際に「必ず死骸を敵に渡すことなかれ」と遺言していたが
四方を敵に囲まれ逃げられないので、やむなく火葬し隠して各々自害すると言う。
そこで上人は彼らと話し、彼らが敵へと向かう間に火葬して遺骨を法衣に包み、
本能寺の僧徒が逃げるのに混じって無事遺骨を寺に持ち帰りました

また、信長の嫡男信忠二条城で自害したことをきき、
七条河原で休憩中の明智光秀に陣中見舞いと称して訪ね、
「戦死者に檀越の者が多いので是非阿弥陀寺で葬りたい」と請うたところ
光秀も志を深く感じて許したため、
すぐに多数の寺僧を率いて本能寺と二条城の遺体を集めて持ち帰りました。

この明智光秀書状が残存、展示されていました。

本能寺には堀や土塀があることや、
上記が記された「信長公阿弥陀寺由緒之記録」の資料価値に疑問があることがら
この縁起も事実かはわからないそうですが、
その後秀吉が信長の葬儀を執り行うために遺骨の差出しを求めたことから
信憑性は高いともいわれています。

このとき、再三の秀吉の申し出にも上人が断ったため、
京中屋敷総替えの際に現在のような小さな寺院になってしまったそうです。
なお木下藤吉郎書状も展示されていました。



他、画像左下の信長使用の鞍覆や、弓掛(ゆがけ)、
本能寺で信長が使用したという手槍が展示されていました。




織田信長公本廟
amidaji7.jpg
小さいです。


amidaji8.jpg
右が総見院(信長)、左が大雲院(信忠)



本廟の横には森蘭丸をはじめ家臣の墓。
amidaji9.jpg


中の3つが森蘭丸、坊丸、力丸の3兄弟。
amidaji10.jpg



墓地の中ほどに清玉上人のお墓。
amidaji11.jpg



敷地内には芭蕉の句碑もありました。
amidaji6.jpg
「春立つや 新年古き 米五升」



御朱印。500円。
amidaji12.jpg







阿弥陀寺
京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
特別拝観 毎年信長命日とその前日(6月1日~2日)
拝観料600円
午前10時~午後4時

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