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大徳寺塔頭 興臨院・紅葉 ~畠山家・前田家菩提寺~ 


大徳寺22塔頭のひとつ、興臨院

DSC02730.jpg


DSC02740.jpg


通常非公開
春秋などに特別公開があります。
拝観料600円。
観光協会のガイドの説明が聞けます。



表門(重要文化財)
DSC02729.jpg

DSC02727.jpg


太永年間(1520年代)に、
能登の守護大名畠山義総により建立。畠山家の菩提寺となります。
開祖は小渓紹怤。

畠山義総は能登畠山氏7代目当主、同家の全盛期を作った名君です。
義総死後、能登畠山氏は没落、天正5年(1577年)に上杉謙信によって滅亡し、
天正9年(1581年)、前田利家により本堂修復がなされ以降前田家の菩提寺となっています。


本堂・表門・唐門が重要文化財。
お茶室・涵虚亭(かんきょてい)と、方丈前庭が見どころです。





本堂(方丈) 重要文化財
室町時代の方丈形式。一重入母屋造、檜皮葺。
創建直後に焼失しすぐに再建されたため、現存する本堂は天文2年(1533年)頃のもの。
天正9年(1581年)、前田利家により屋根修復。
昭和50~53年、方丈・唐門・表門の解体修理が行われ、庫裡が新築されています。
全体的に簡素で素朴であり、現在の民家住宅へ移る過渡期のものといわれています。

室中の上部が響き天井となっているという特徴があり、
下で手を叩くとよく響くが、人があまり多く天井の下に集まると少しも鳴らないそうです。

狩野元信、土佐光信の襖絵があったと記録にありますが幕末~明治維新頃失われ、
現在は久留米市在住の水墨画家・村石米斎の作品。
daitokuji_fusuma_01.jpg


書院の床の間は、日本最初の床の間――の形式をしたもの。
DSC02743.jpg
床面が畳、壁面が襖。蹴込み式で、床框は下が奥まっています。




方丈前庭
方丈の解体修理完成に際して、資料をもとに復元されたもの。
「昭和の小堀遠州」と呼ばれた中根金作の作庭。
DSC02738.jpg


DSC02739.jpg
昔中国の寒山・拾得が生活していた国清寺の石橋を模したもの。
理想的な蓬莱の世界を表現しているそうです。
わかりにくいですが借景は船岡山




西方にある貝多羅樹。(タラヨウとも。モチノキ科の常緑樹。)
DSC02746.jpg
梵語で「木の葉」という意味で、古代インドで経文を書くときに使われたそう。
葉に文字を書きます。つまり「葉書」
実際にこの葉っぱに文字を書いてポストに投函できるみたいです




爪塚
DSC02747.jpg
名前からして耳塚みたいなものかとかなりギョギョッとしたんですが
(※耳塚…豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に戦功として持ち帰られた耳や鼻のお墓
       京都市東山区、豊国神社前)
先代の住職の奥さん(だったかな?)がお琴が大好きで、
古くなったお琴の爪のためのお墓ということでした。




お茶室 涵虚亭(かんきょてい) 
DSC02737.jpg

DSC02742.jpg
右側が通常のにじり口。
手前がかがまず入れる客人口。

古田織部好みの四帖台目に隅板を加えたもの。
内部は写真撮影禁止なのでパンフレットから。
kankyotei.jpg
右側の白くふたをしてあるところ(撮影用ですかね。拝観時は開いていました)が給仕口。
入ってすぐ板敷きになっているところに、半東が座ります。
半東(はんとう)は亭主を手伝い客にお茶を運んだりする人のことです。
また床の間は袖壁が出ていて中が洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれます。





御朱印。300円。書置き。
DSC02761.jpg
ご本尊「釈迦無尼佛」


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